28/09/2010 | 15:21:00

タンロン・ハノイ、歴史的証人の遺産たち

ベトナム自然環境保護会環境美術センターのチャン・ゴック・ハイ所長は、ハノイ市のホアンキエム湖、一柱寺、文廟、国旗掲揚塔を、同市における数千年の歴史の証人と評しています。同氏はこれらの歴史的遺産は、国家の魂であり、人々の血となり肉となり民族の生気を養ってきたと言います。

ホアンキエム湖 ─戦勝の証人─

ホアンキエム湖(還剣湖)は、明による支配下で戦い抜き帝位に就いたレー(黎)朝ロイ(利)王と深い係わりを持ちます。伝説によると、ロイ王はホアンキエム湖から見つけられた鉄棒を手にしたところ、鉄棒が光を放ち宝剣に変わったそうです。その宝剣で戦勝したロイ王は、宝剣をホアンキエム湖の中央に浮ぶ小島に返しました。1884年にはこの小島に亀の塔が建てられました。ホアンキエム湖の北岸近くには小島もあり、そこには玉山祠が建てられ、1865年に寺の修繕を行った儒学者グエン・バン・シエウ氏が祀られています。

ホアンキエム湖はハノイ市の中心に位置し、人間と大地、天とを結ぶ神聖な場所として崇められています。また亀の塔の姿はハノイ市のみならずベトナム国民の心に深く刻み込まれています。

一柱寺 ─国家建設の証人─

ベトナムはタンロン、ドンド、ハノイと幾つもの時代を経てきましたが、一柱寺はいつの時代も国の象徴とされてきました。

大越史記全書によると、一柱寺ことジエンフウ(延祐)寺は李(リ)朝タイ・トン(太宗)王時代の1049年冬に建設されました。観音に蓮華台の上に登るように言われる夢を見て寿命が縮むことを恐れたタイトンがティエン・トゥエ法師に相談すると、法師は霊沼池の真ん中に、池に咲く蓮の花を模した石柱の上に観音堂を置く寺を建設するよう諭しました。一柱寺は直径1.2メートル、高さ4メートルの石柱の上に3メートル四方の蓮華台、その上に木造の観音堂が置かれ、観音堂には霊沼池の淵から階段が造られています。観音堂の扉には蓮華台と書かれた表札が掛けられています。

当時、観音堂では法師らがタイ・トン王の長寿を祈願して舞いました。その後、一柱寺は1954年にフランス軍により爆破されましたが、翌年に当時の政府により再建されました。境内には、1958年にインド首相からホー・チ・ミン主席へ贈られた菩提樹が現在も佇んでいます。

文廟 ─民族の知恵の証人─

文廟は リ(李)朝タイン・トン(聖宗)王時代の1070年に建設され、孔子が祀られました。1076年には文廟の境内に、ベトナムで最初の大学(国子監)が開設され、当初は王子や貴族が学んでいましたが、その後門戸が開かれ一般庶民も学ぶことができるようになり、タンロンにおける教育の中心地となりました。

レー(黎)朝になりタイン・トン(聖宗)王の指示により、科挙の合格者の栄誉をたたえるため石碑に合格者の名前が刻まれました。文廟はその後、1484年、1511年、1536年、1762年、1785年、1805年…と幾度にも亘り改修工事が行われました。また近年では2000年に、タンロン・ハノイ建都990年記念を機に文廟境内及びその周辺地域の景観の改修が行われました。

国旗掲揚塔 ─ベトナムの精気─

八角柱が印象的な国旗掲揚塔は1812年に宮殿の監視塔として建設されました。この塔はレンガ造りで高さは33メートル、塔内はらせん階段になっています。また塔は八角柱で展望室の八面からはハノイ市が一望できます。塔は同じくレンガ造りで正方形の2段の建物の上に建設されています。建物の1段目は1辺が42メートル、2段目は1辺が15メートルで東西南北の4面に扉があります。

インドシナ戦争末期の1954年3月から5月にかけてのディエンビエンフーの戦いでフランス要塞が陥落し、同年10月10日にベトナム軍が首都を解放しました。その際にベトナム軍及びハノイ市民により国旗掲揚塔に現在のベトナム国旗である金星紅旗が掲げられました。この国旗は当時のベトナム民主共和国の勝利の証であり、ベトナムが独立・自由・幸福を得た新たな歴史の幕開けを飾りました。

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