21/12/2011 | 15:41:47

ベトナムのタンロン城王宮跡、無価値な文化遺産

破壊されてない遺跡の一つであるクアバック門。 写真:ホアン・ハー(Hoang Ha)、ナム・スオン(Nam Suong)と資料

無価値な世界文化遺産であるベトナムのタンロン城王宮跡の中心はハノイ旧古城圏と18Hoang Dieu 通りにある考古学圏の何数万平方メートルの中に広さが18.000m 2 である。 タンロン城王宮跡はベトナムの民族の文化の特徴を有するだけでなく、世界において特別な価値を有する。

タ ンロン城王宮跡の地面の上に幾つかの遺跡があり、1467年に最初レーソ時代のキンティエン宮殿に生まれた遺跡は石に竜が彫刻された階段と手すりである。 ドアンモンの門はタンロン城の南側の門である。グエン時代のハノイ城の遺跡としてクアバックとキダイ(コットコとも呼ばれる)がある。19世紀の終わりの 砲兵指導局などのフランスの軍隊の幾つかの建築も残っている。戦争と人による破壊のせいで、1000周年のタンロン-ハノイのタンロン城王の地面において の遺跡はあまり残っていない。

しか し、幸いなことに、地下において、多くの遺跡と遺物が残っている。多くの歴史学者と考古学者は「地下においてのタンロン-ハノイがある」と述べた。それら の遺跡は十分な形ではなく、廃跡の形で存在しており(崩壊された状態)、ごく僅かではあるが正確な価値を有する。特に、「地下においてのタンロン-ハノ イ」はタンロン城王宮跡の中に集中している。

1998 年、ドアンモン、クアバック、ハウラウを研究中に、考古学者はリー王朝とチャン王朝においての遺跡と遺物を発見した。最近の2008年、ドンモンとキン ティエン宮殿の間の穴において、レー王朝の特徴を有するレンガで敷き詰められたレー王朝の竜庭が発見された。特に、2002年12月から2004年まで、 考古学者もホアンジエウ通り18番地を発掘した後、19.000 m2の面積がある土地においてタンロンの直前(11世紀の前)、タンロン時代を経てハノイ時代の遺跡、遺物を発見した。その後、他の遺跡面積は33.000 m2まで発掘された。文化の層は次々と積重ねられた。建築、排水設備、井戸、古い川の跡などの遺跡、遺物は長い間の歴史を表した。タンロン城王宮跡は3つの特徴を有する。

第一 はタンロン城王宮跡は広大ではない地面において連続した13世紀の長期に及び(17世紀から現在まで)、権利と文化のセンターの遺跡を保存する。その中、 800年間(リー時代の11世紀からレー時代の18世紀まで)連続的にタンロン城王宮跡は東南アジアにおいてのベトナムの政治・行政のセンターであった。 この特徴は世界の各国の城の発展の歴史において珍しいものである。

第2 は、タンロン城王宮跡は権利の中心の役割で、城のセンターベトナムの民族の文化、歴史の価値が集中する場所である。カム城は朝廷が管理する場所、王朝が政 治、文化、宗教などの儀礼を行った場所である。考古学者は大きな規模をゆする様々な宮殿を発見した。その遺跡は一つの民族の文化の時代の真髄を集中すると 言える。

第3 は、リー・タイ・ト王はタンロン城王宮跡が「空と大地の真ん中にあり」、「南北東西の真ん中の位置にあり」、「川と山の近くにある土地」であると述べた。 タンロンは紅河デルタのセンターであり、ベトナム人の灌漑稲作文明の発祥地であり、ホン川を通る国内外の交通のシステムの筋道であった。そのため、タンロ ンは多くの外国と交流できた。西アジア、中国、日本、朝鮮などから来た多くの遺物が発見された。

以上の3つの特徴で、タンロン城王宮跡はベトナムの民族の文化の特徴を集結だけでなく、世界文化遺産の2条、3条と6条の基準条件に達し、世界の文化の価値を有する。

そのため、タンロン城王宮跡は2007年12月28日、国家レベルの遺跡となり、2009年8月12日、国家の特別なレベルの遺跡となった。これにより、2010年8月1日、ブラジルにおいて行われた第34回の世界遺産委員会の会議で世界文化遺産となった。

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