13/07/2010 | 12:38:00

ヴォンティ村

村への通り 。 写真: ホアン・クアン・ハー(Hoang Quang Ha)

その昔、ヴォンティはタンロンの都のクアンドゥック県に位置していた。多くの歴史の変遷を経てもなお、この村は昔からの名前をそのまま維持し、現在、ハノイのタイホー区に位置する歴史ある場所だ。

昔、ヴォンティ村はタイ湖沿いに位置していたので、水田の面積が狭く稲作と蓮栽培を営む人々は少なく、ほとんどの村人は湖で魚を獲ることを主たる生活の糧としていた。「ヴォンティ」という名は、魚を獲る網をヴォンと呼ぶことが由来である。また、昔、ここには魚の市場があったことから、このような名がつけられたという説もある。このような魚釣りの他に、村人は紙作りや布織りなども営んでいた。

現在の村の亭のそばはコードー波止場であるが、以前、ここは大変賑やかで大きな船着場であったという。この場所は、昔のタンロンの都の郊外に位置する同村から程近い大きなブォーイ市場の「衛星」船着場であったのである。

ヴォンティ亭は 、リー・ニャン・トン(Ly Nhan Tong)王朝の下、1096年3月に起きた「ザムダム湖事件」で、王様を救命したムック・タン(Muc Than)氏を祀っている所である。資料によると、ザムダム湖事件は、レー・ヴァン・ティン(Le Van Thinh)大師が妖術により自分を虎にして、王様を暗殺しようとしたが、ムック・タン氏は網を投げてこの虎を捕らえ、王様を救ったというもの。

しかし、一説にはレー・ヴァン・ティン大師が大胆な提案をいくつも出したので、利益を損なわれた人々により嫌われて、危害を加えられたという説もある。このレー・ヴァン・ティン氏は、バクニン省ザービン県ドンキュー村のバオタップ集落の出身で、全国で最初の儒学試験(1075)で第一位に合格した。

彼は文学も武術も優れて、中国の広西に李王朝の使節団を先導して、中国が占領したベトナムの土地の返還交渉に成功した人物である。彼は1085年から1096年まで11年間、大師を勤めていた。

ヴォンティ村への道は、元々、リー・ニャン・トン王朝(1072-1128年) の終わりに作られた土の道で、ヴォンティ亭、スンカイン殿へと続いていたが、その後はタイ湖まで延長された。

現在では、ハノイ市内でも有数の美しい通りになっており、2001年にこの通りは「ヴォンティ」と名づけられた。タイ湖沿いの新しい通り、石堤防で囲まれた湖の岸、青々とした並木、新しく建設されたヴィラエリア、7、8階建てのビル、湖に面しているリゾートなどは、まるで弓のようにタイ湖を囲んでおり、独特な水墨画のような光景を描いている。村の変化とともに、人々はこの新しい通りに昔のタイ湖の静かな精神的空間にも触れることができよう。

首都ハノイが急激に発展している今、都会の中に佇むヴォンティ村は、タイ湖観光アエリアの人気スポットになることは間違いなさそうだ。

チャン・チー・コン(Tran Tri Cong)

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